2020年も新年どころか新年度突入
新年も明けすぎて既に4月。新年度すら明けてます。
ブログを更新しようと思うも更新履歴を見たら2019年2月が最後…
他のSNSは更新するもブログ更新はなんだか気が乗らなかった。
振り返るとそんな2019年だったようでして、ブログ放置の間何をしていたかと言えば…
2019年をイベントで振り返る
●第10回川越まちゼミでユーチューブ動画講座
●かすみがせき100円商店街でボディペイント
●原爆絵画展でボディペイント
●上尾元気まつりでボディペイント
●小学校でのお絵かきイベントで小石小板に絵を描く
●かすみがせき100円商店街でハロウィンボディペイント
●道の駅まくらがの里でのイベントで勝手に小板ペイント
他に何かあったかな?まぁひとまず良しとして。
縁が縁を呼んでくれたのか?
振り返るとお絵かきばかりな2019年でした。
ありがたいことです。
しかし、
人生には「暗雲立ち込める」というやつは必ずやってくるものでして…
新型コロナウイルスが日本でも炸裂
祝賀ムードで始まった令和元年でしたが…
振り返ると令和元年度は中々波乱の1年でしたよね。
夏は幾度となく台風に悩まされ、冬はインフルエンザが霞んで見えないくらいに新型コロナウイルスが台頭し現在進行中だったりと。
東日本側で猛威を振るった台風19号ではうちもご多分に漏れずスマホへ避難勧告の通知も来て翌朝ニュースを見ると近所の団地や特養の施設などは床上浸水。正直、高低差に助けられたという感じです。
そして、長野の北陸新幹線の車両基地のE7系北陸新幹線が水没したシーンを見たときは何とも言えず涙が出かけましたよ。
余談ですが、
令和元年房総半島台風と命名された台風15号のときは東京ビッグサイトで仕事をしていて、暴風域時間帯(確か朝方)は結構「死」を身近に感じました。
個人的には2011年3月11日に起きた東日本大震災を生き延びた時点で、儲けもんの人生と考えたりもします。
その日は祖父と仕事をしていたのですが、14:46に起きた地震、いつも通り「地震が来たな~」くらいに考えていたら明らかにいつもと揺れが違う!と思い外に出たら電線はブランブランと揺れ、窓ガラスもポルターガイストばりに揺れ、これはまずいと思い祖父に外に出るように促すも、関東大震災を体験してる身の余裕なのか微動だにせず…
これはこれですごいなと思ったものです。
ひとます揺れが収まり、付けていたラジオは何やら騒がしくなっていった記憶があります。テレビは調子悪くて映らなかったのかな?
そんなこんなでいつもどおり仕事を終わらせ夕方に帰路に着くとガソリン渋滞が。
帰宅して改めてテレビでニュースを見ると「とんでもない事が起きた…」というのが第一印象でした。
今でこそ、東北と東京を舞台にした連続テレビ小説「あまちゃん」を筆頭に東日本大震災を間接的にエピソードに組み込んだりドラマなどで登場人物の背景として組み込んだりしたものも増えてきましたが、まだまだ過去の出来事にはできませんよね。
戦争体験者の心はこんな気持ちの何十倍〜何百倍と考えると胸が締め付けられます。
そんな事もあったからなのか、東日本大震災→原発をきっかけに人生の価値観が少し変わりましたよね。
脱サラしてまで漫画学校へ行くような拗らせた人生を送るくらいです。
それまでは「何が何でも商業漫画家になりたい!それ以外は認めねぇ〜〜〜!」と(気持ちだけは)鼻息荒くして真正面ばかりを見てました。
しかし、
何というか生きているだけでも世の中に感謝というか、大げさに言えばバイトをして飯を食べて絵を描き続けられるのも「生きているからこそ」と落ち着いて思えるようになったわけです。
おかげさまで生かされている。という感じですかね。
とはいえ、私自身仙人ではありません。俗世間に生きる煩悩フルパワーな人間の1人です。
時間が経てば大なり小なりの欲が出てくるんですよね〜。平和ボケてやつです(笑)
商業漫画家にはなれなくても漫画やイラストを描いて稼ぎたい!と言う欲が。
そして、それが冒頭の2019年の活動内容に繋がっていきます。
皮肉なもので、「商業漫画家以外は認めねぇ〜〜〜!」と当時言っていた自身がなりたくなかった立場になってるみたいな(笑)
振り返ると、
この頃(2011年末くらいかな?)は東日本大震災以降ガラケーからスマホへ変更するユーザーも増えつつある頃で、それまでインターネットへつなげるのもそもそもいちいちパソコンを立ち上げないと繋げられない…というのが難点でしたが、ガラケーにパソコンが付いたのか!?家電か!?と錯覚させるほどの「スマホ」1つでどこでもインターネットへアクセスできる環境になりました。
スマホを「シュッシュするやつ」とか呼んでいた方も多いのでは?
そして、スマホの登場によってガラケーでメールを打つような感覚で、
・常にネット環境があるので辞書をすぐに引ける…
(いわゆるググるてやつ)
・ニュースにすぐにアクセスできる…
(ヤフーを見る方は多いのでは?)
・ブログやSNSなどの情報媒体を所有できて即座に表現できる…
軽くノマドワーカーですよね。
同時にインターネットの通信インフラも整ってきて無線にもかかわらず光回線のように、スマホで動画再生してもカクカクしないような通信環境です。そんな時代背景も手伝ってくれています。
今、新型コロナウィルスでテレワークをされている方ならインターネットを使った仕事に良くも悪くも恩恵を授かっているのでは?
もちろん、マスメディアの特権であった情報提供という行為が一個人が無料でも情報発信メディアを持つことが可能になった今、ノマドワーカー的にやっていた行為がメディア運営でやアフィリエイトやネットショップという角度からも役立ったりします。
巡り巡ってイラストなどのデザイン依頼を頂いたりと。
人間が丸くなったのか?
解釈幅が広がったのか?
みんなが求める時代に近づいているのか?
それはまた各々の価値観で感じ方も違うでしょうからご想像にお任せします。
人間万事塞翁が馬
何かが起きれば文句を言いたくなるのが人間。そして解決していくのもまた人間。
個人的にはどんなに文明が進歩しても自然には勝てないだろうし、何事にもおいても共存という距離のとり方や接し方がけっきは1番ベターなんじゃないかな?と思っています。
支配しようとするから負けるんだよね。
拮抗?接戦?ドッグファイト?三つ巴?こういう状態を理想的な共存と思ったりします。
そういう意味では大きな流れには逆らってはイカンと思うし、チャンスが見えたら乗らなくてはイカンとも思うわけです。
もしくは影響の無いところまで大きく離れる。
個人業なら尚更。
明けない夜はないし、止まない雨もないし、光も闇もずっとは続かない。
何事にも最低でも両面がある。
ドラマや漫画で言えば「一方その頃」てやつです。
「風邪を引いたら薬でなおせば良い」
確かにそうなんですけどその前に本質的な部分として「しっかり睡眠と栄養を取って養生する」という昔ながらの考えをもう今の生活に少し取り入れてみるのもアリでは?
身体への栄養素として、サプリも確かに必要だけどまずは純粋に食物からじゃね?
菌をまき散らすのを分かっていて風邪ひいた自慢しつつ仕事をするのもなんかおかしいんじゃね?
車やバイクでメーカー出荷状態をロクに知らないまま何でもアフターパーツ仕上げにするのもおかしくね?みたいな。
風邪は万病の元とはよく言ったものです。
個人的に慢性的に残業しないと終わらない仕事量はやはり人員が不足しているんだろうし、何かしら策を講じるべきだろうし。
身体を動かした長時間労働を美徳・機械やコンピュータを使うのは悪。
と考えるなら、電車や水道だって機械やコンピュータを使うから悪だろうし、昔に比べたらほぼほぼコンピュータと機械のカタマリの車なんて悪魔の申し子と考えるべきだし、
荷運びのトラックや船や飛行機だって、駕籠(かご)や人力車などヒューマンパワー時代の人が見たらチートじゃね?
と思うわけです。
一面しか見ないから、
今しか見ないから、
同じ人で同じ考え方ばかりするから、
みんながそうだから、
「!?」と思えてしまう考え方を聞くと中々受け入れにくいかもしれません。
新型コロナウイルスに関してもインフルエンザ同様遅かれ早かれ何かしらの対処できる薬はできるでしょう。
極端な話、それまでにたくさんの人が死んでしまうかもしれないし、じゃないかもしれない。
「コロナに負けない!」というセリフに対してはウィルスに対して勝ち負けはどうなんだ?とは思いますが、その気概を持つことには大賛成です。
しかし、
触らぬ神に祟りなしではないけど、わざわざコロナ濃度がフルパワーな可能性があるところへわざわざ進んで近づきたいとは思わないし、
現状、コロナの治療薬や予防薬が無い以上、極力避ける生き方で予防をするしかないですよね。
ただ、
コロナ感染した事実を突きつけられたら突きつけられたで養生するしかないんですよ。
こういう事を考えるとこの世というのは全てが「人間万事塞翁が馬」だよな〜。と思うわけです。
確かに新型コロナを恐れるのも必要だけど、恐いならオフィシャルな対策に加えて、心も思考も鍛えておく。
この「人間万事塞翁が馬」の考え方があると人生そのものを絶対値だけでなく相対値も加えた生き方を考えられるようになると思いますよ。