確かに生活にお得な冊子だな…
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「また ずいぶんと間が空いたな」
「今度は何をしていたの?」
おにいさんもおねえさんも久しぶりですね いや~ またPDFや動画を作ったり イラストを描いていたら 結構な時間がたってしまいましたね
「好き勝手やってんな ところで生活にお得な冊子って何だよ? お得な話に原点回帰か?」
いや~ 久々にやられたて感じでしたよ
「やられた割にはうれしそうじゃない?」
それがですね ちょうど家にいた時でインターホンが鳴りとりあえず出てみると
「生活にお得な冊子をお配りしてます ポストに入れてよろしいですか?」
と言われたわけですよ 私も家内も作業中だったので2つ返事でお願いし投函されてほおっておいたわけです
「お得な冊子って?」
おねえさんのご期待に添えるかはわかりませんが これです
「マジかよ!? 宗教かよ? どこが得なんだよ?」
「あたしもお得にはつながらないわね…」
そうですよね 私も昔はそうでした 洗脳されるんでは的な…
でも自己啓発の本とかビジネスセミナーとかで話を聞いていた事もあってか似ているんですよね
もっと言うと 仏教もキリスト教も似ているといいますか
さらに言えば宗教もことわざも四字熟語も似てるというべきか
「何だよ そっち系か?」
そういわれるとそうではないんですけど それにそもそも宗教に詳しいわけでもないしビジネスに対してもそこまで詳しいわけではないわけですよ
しかし何と言うか
遠目に? 薄目を開けてみる感じ? それこそ映画を見る視点ですかね?
宗教も自己啓発もビジネスセミナーも【教え】という一括りとして見れるわけですよ
「なるほど…」
話変わりまして 祖父の家には昔からキリスト教やら仏教の派生やらが来るんですよねそして祖父の口癖が
【人生について考えた事があるか?】
だったわけですよ
「何だよ その質問は?わけわかんねえな」
高校生の頃ですかね 私もおにいさんのようにさっぱりわからなかったですよ 都合で度々祖父の家に行く用事があったわけですが決まって
【人生について考えた事があるか?】
と聞かれるわけです 当時の私も俗にいう思春期のくくりであり つまらないなりにも日々を送っているわけですが
【人生】という言葉で攻めてこられると
意味わからない
つまらん
あ~ うるせぇ クソじじい
などと思ったものです 今思えば何も考えていない思考ですね
「普通そんなもんだろう?」
「クソじじいて ひどいわね」
そこは若気の至りでスルーしておいてください
それでおにいさんの言うとおり普通はそんなもんなんでしょうね 私も宗教に関してはいいイメージがなかったんですよ
飛び込み営業みたいなものじゃないですか? 当然うちの親もそういう訪問は嫌いなわけです
私自身話を聞いているのはいいんですよ 多分フィクションとしては面白いから聞いていたんだと思います でもオラオラ営業のごとく頻繁に来るんですよね
今でしたらそういう話もネットで調べられるしネット対応の宗教もあるようですから好きな時間に調べられるわけですけど 当時はそんなものないですからね
だからこそそういう話を聞くのは好きだったんですよね それでも話し手の人間性にもよりますけどね それは小売店の店主と一緒でしょうね 同じ商品を販売していてもあの店舗では買いたくないみたいな
ですから【宗教】への偏見はあったわけです というよりは
私の話す宗教が一番よ!だから一緒にやらない?
みたいなスタイルが嫌だったんでしょうね 今思えばですが
それで一時期はビジネスセミナーなんか行くようになったり自己啓発本を読むようになったりして感じた事なんですが 宗教も自己啓発も切り口が似ているわけです
【幸せとは?】
突き詰めるとこの一言に凝縮されるんじゃないですか?
さらに言えば
この世に生まれた以上幸せになりたいだろうし
学校で勉強するのだっていい会社へ行き高い給料を貰いいい生活をしたいわけだろうし
ただこの 【幸せ】とか【いい生活】というのが困りものなわけですよね
「何で? 幸せならいいじゃない?」
なるほど… ではおねえさんに聞きますが
おねえさんにとっての幸せて何ですか?
それがあると幸せなんですか?
逆にそれがなかったら全く幸せじゃないんですか?
普段こぼす愚痴が不幸せの源でしたらそれを辞めればいいんじゃないですか?
辞められないなら何だかんだまだ幸せなんじゃないですか?
などなどかなり突っ込んだそして何で?どうして?質問をしてもいいですか?
「それはやめて…」
何と言うかそういう意味では
宗教も
自己啓発も
ビジネスセミナーも
禅問答に似たものあると思うんですよね こういうものは全ては【自分が求める幸せ】に直結するためのツールに過ぎないと思うわけですよ
だからなのか 「○○の宗教がいいわよ」みたいなオバサンがいると
うるせえな…
と思うんでしょうね
自分がその宗教で幸せと感じるならそれはいいと思うんですけど その宗教観を押し付けるのはどうかな?と思うんですよね
そもそもで言えば
家訓だって
道徳の授業だって
社訓だって
そこにその人の熱い想いや魂があれば【宗教】だと思うわけですよ
自分が○○の宗教をベースに生きる事により
【自分軸で作った確固たる幸せのイメージ】に近づいたのならそれはアリだと思うんですよね
しかし それが「○○の宗教がいいわよ」じゃあね…
説得力ないというか厚みがないというか
あなたはその考えで生きていけばいいじゃん 私は賛同できないから
結局のところ【仕事も人生も】
外に求めると際限がないと思うんですよね
初めのうちは自分がヘタレだから外へライバルを作るのいいと思うんですけど いつまでも外へライバルを求めていると【自分の求める幸せ】と考えた場合に
??? が出ると思うんですよ
だからこそ自分軸での【幸せ】が必要になると思うんですよね
そしてその【幸せ】を見つけるためには
何で?
どうして?
が必要だと思うようになったわけです だからこそ【幸せの定義】があいまいな方はマスコミにあおられるがままの人生が楽しいと思えてしまうのでは? と思ったりもします
まぁ 楽しい事もありますけどね でも楽しくない事もあるわけですよ
だって自分の【幸せ定規】では測れないわけですからね
「これって生活にお得の話じゃなかった?」
ん~ 【楽しい人生ならお得な生活になる】て事でどうでしょう?
ドラゴンボールで例えたら 悟空なんてひたすら闘っている戦闘バカのバトルジャンキーなわけですよ
強い奴と闘えることが幸せ
誰よりも強く在ることが幸せ
という確固たる幸せの基準を持っている 家族を持つ父としたらダメかもしれませんが 悟空の持つ【幸せ定規】からすれば確実に【幸せなお得生活】なわけです そしてこの考え方というか心の在り方があれば確かにあの胡散臭い冊子も【生活にお得な冊子】ではあるわけですよ
仕事にしても 同じ業種でも【誰とやるか?】て重要じゃないですか
それが個人でやる仕事なら【誰とやるか?】というのは本当に重要だと思いますよ
「ところで何で4月号なんだ? 今は7月なのに」
あれ!?本当だ
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